FC2ブログ
犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

ヨーガの成立に導引は関係があるか(初探)抄録
fukugen042bxx.jpg
fukugen049axx.jpg
ヨーガの成立に導引は関係があるか(初探)抄録         
                  医史学会関西秋季大会 2010・11・7
                              猪飼祥夫

導引は中国の伝統的な身体技法の一つである。導引の成立は非常に早い。確かな年代は『荘子』の「刻意」第十五にある導引の技法である。「吹呴呼吸、吐故納新、熊經鳥申為夀而已矣。此道引之士、養形之人、彭祖夀考者之所好也。」とある。荘子の年代は紀元前369年から紀元前286年ごろと推測されている。これより早くB.C.470前後の戦国初期の『行気玉佩銘』がある。この玉には呼吸法が述べられているが、年代を確実にすべき傍証がない。研究者によって与えられた年代である。
これまで研究した張家山の『引書』には、多くの導引技法が述べられている。その内容は多岐にわたり、呼吸法と身体技法が合体している。この張家山のM247漢墓は、墓主は惠帝の元年(BC194)に病気のために免官している。また書写年代は埋葬年代から前漢の呂后の二年(BC186)年を下らないものと言われている。
同時代の文献に馬王堆の『導引図』がある。この墓の埋葬年代は紀元前168年である。この図は導引の図だけで技法は推測するしか無い。前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179ー122)も荘子の熊經鳥伸について述べている。
後漢から三国の魏の時代に生きた華佗(109?—207?)は「吾有一術、名五禽之戲、一曰虎二曰鹿三曰熊四曰猨五曰鳥。」といい、荘子の導引のほかに五禽戯という技法を述べている。
インドでのヨーガの成立についての年代は多くの場合、文献学や考古学の推定に過ぎない。インダス文明発祥期のハラッパーとモヘンジョ・ダーロで出土した印章や押印に、ヨーガの体位をとった人物が描かれていることから、すでにこの時代紀元前2300-1700にヨーガあったという説もあるが、信頼できるものでない。
もともとは馬に馬具をつけることを意味したヨーガ(繋駕)という語が、特定の身体技法をあらわすようになるのは、紀元前三―四世紀ごろに成立したウパニシャッドからであるといわれている。『カタ・ウパニシャッド』(katha Upanisad)には、「五感の知覚も思考力も静止し、理性も活動しないとき、・・・その確固たる感官の保持を、人々はヨーガとみなす」(第六章10―11)という定義がみられるという。それ以前の成立とされている『ターイッティリーヤ・ウパニシャッド』にもその例が認められると言うが、確実ではない。この文献は紀元前六世紀というからブッダ以前となるが、不確実である。
『カタ・ウパニシャッド』よりもやや成立のおそい『シュヴェーターシヴァタラ・ウパニシャッド』(Svetasvatara Upanisad)になると、胸。頚・頭をまっすぐにする坐法や、感官の制御、呼吸の調節などが説かれ、ヨーガを実修するに適した場所、ヨーガ行者の見る幻覚が述べられ、無病・無欲で軽快になり、不老・不死になるなどというヨーガの効果があげられているといわれる。
インドの大叙事詩『マハーバーラタ』は、『ラーマーヤナ』と並ぶインド二大叙事詩の一つでもあるが、その第六巻は『バガヴァッド・ギーター』である。この書物は『マハーバーラタ』の一巻でありながら、内容はヨーガとサーンキヤを述べている。『バガヴァッド・ギーター』は「神の歌」の意味であるが、社会に居て現世の義務を果たしつつ、究極の境地に達することが可能であると教えている。そこではヨーガは平等の境地である。(2-48)二種類の立場について「知識のヨーガによるサーンキヤ(理論家)の立場と、行為のヨーガによるヨーギン(実践者)の立場」(3-3)があるという。「他の人々は、プラーナ気とアパーナ気の道を抑制し、調息法に専念して、プラーナ(出息)をアパーナ(入息)の中に焼べ、アパーナをプラーナの中に焼べる」と呼吸法についての技法がある。『バガヴァッド・ギーター』の成立は西暦一世紀ごろといわれている。そのころにサーンキヤ・ヨーガ派が成立した。
五世紀ごろには古典ヨーガがまとめられ『ヨーガ・スートラ』が編纂された。ヨーガとは心のはたらきを滅することで、八種の実修法がある。
「(1) 制戒(ヤマ)―生物を殺害しないこと、真実を語ること、他人の財貨を盗まないこと、禁欲生活をすること、ものを専有しないこと。
(2) 内制(ニヤマ)―身心を清らかに保つこと、生命を維持するに足るだけのもので満足すること、寒熱・飢餓に耐え、断食などの苦行をすること、聖典を学習すること、最高神に専念すること。
(3) 坐法(アーサナ)―不動で安楽な坐法を修得すること。
(4) 調息(プラーナヤーマ)―呼気・吸気を調整すること。
(5) 制感(プラテイヤーハーラ)―感官を制御して外界の対象に結びつかないようにすること。
(6) 凝念(ダーラナ)―臍トカ鼻端とか、一定のところに心を集中すること。
(7) 禅定(デイヤーナ)―意識作用が持続的に一つの対象に集中して、他の意識作用に妨げられない状態。
(8) 三昧(サマーデイ)―禅定の深まりによって、意識作用は空になり、対象のみが心のなかに輝く状態。」
この分類は、古典ヨーガの完成形を表している。これらは「(1)(2)は実修の準備段階、(3)~(5)は外的な実修法、(6)~(8)は内的な実修法である。そして(6)~(8)を総合的に実習することを総合制御(サンヤマ)といい、それによって絶対知が得られるのである。」といわれている。ヨーガの技法は感覚の制御を意識によって行うことが大切にされている。その究極の目的が解脱にある。
五世紀のアサンガ(無著)ヴァスバンドゥ(世親)によって完成された仏教の唯識派は、別名瑜伽唯識派と呼ばれる如くまたヨーガ(止観)を根本に置いていた。
完成された『ヨーガ・スートラ』の制戒(ヤマ)内制(ニヤマ)坐法(アーサナ)調息(プラーナヤーマ)制感(プラテイヤーハーラ)凝念(ダーラナ)禅定(デイヤーナ)三昧(サマーデイ)の八種の実修法は、中国古代の導引と余りにもかけ離れている。張家山の『引書』にも呼吸法は呼気を三種、吸気を一種述べているが、そこには意識の制御や感覚の制御はのべられてはいない。意識を集中することは述べられているが、ヨーガのようにその目的が解脱にあるのではない。坐法によってヨーガが行われている。後世のハタ・ヨーガのような肉体を屈曲や伸展をさせて行う技法は、この当時あまり重視されていなっかたのであろう。『引書』では体の運動を重視する技法が多い。またそれらの技法は四季の変化に応じて、技法の回数を変化させたりしている。また『引書』では疾病治療のための技法が多く述べられている。ヨーガにはこのような技法は記載されていない。『引書』では導引の技法に呪文に当たる呪語がない。心のはたらきにまで述べていない。
これらの比較からヨーガと導引に関係性を見つけ出すことは難しい。確実な年代からいえばヨーガより導引の方がやや成立が早いと思われる。しかしながら仏教伝来以後は婆羅門按摩法としてヨーガの技法が伝来するとともに、唯識思想の伝来や止観の実践によって、ヨーガが瑜伽として中国に定着した。華佗はインド人とも言われるのでその時代に導引とヨーガの関係ができたと思われる。











気持ち良く晴れ渡った朝の琵琶湖です。

秋空に微かにわたる鳥の声
秋空に背中が丸き歩く君
秋空に熊が出たぞとおどかされ
秋空に文化芸術と疲れ気味


ヤニ先生自画像

久しぶりヤニ先生自画像を掛ける。彼は25年前の友人です。彼の自画像があまりにも素晴らしいのでいただいた。そこにつたない漢文で賛を書いた。これを掛けると留学時代が懐かしい。

入道崎




すごい風です。
45年前に来た。高校一年生の時だった。もう忘れてしまっていることが多いが、寒風山や入道崎に来たことは覚えている。45年前は何も無いところだった。

富士山
20100124170736
飛行機からの富士山

時間のありよう
20100119082548
毎朝駅のホームに立っているのだけど、この時間はまったくと言ってもいいほど記憶が無い。人生てこんな風に記憶の無い時間が大部分で、忘れられない部分がその隙間に差し込まれているのかもしれない。

雪の大原
20100116103425
20100116103423
あかき粒、難を転じて、雪に垂れ。

ハーベストホテル
20091010221126

オーシャンビューがすごく良いホテルでした。

日本海佐渡
20090920132048
20090920132047
海が綺麗です。海岸線を鶴岡に向かう。

海風に、白浪爆ぜて、佐渡の島。
群青の、海冴えわたる、彼岸かな。
芭蕉の句、海風わたる、天の川。





散る桜
20090410130139
ああ桜が散る!
散る桜、時にながされ、淡き影。

スタッフ友人が還暦を祝ってくれた。
kanreki002.jpg
kanreki003.jpg
kanreki005.jpg
鍼灸院のスタッフと友人が僕の還暦(12月20日)を祝ってくれた。感謝です。嬉しさで泪が溢れそうになりました。


鳴滝
20081129171116

20081129171117

20081129171120

20081129171118

20081129171119

鳴滝のKさんに往診に行った。その途中でふと、鳴滝てどこにあるのだろうかと思って聞いてみた。
おばあちゃんの治療が終わって、小雨の中わざわざ案内していただいた。
滝はもう人家の並ぶ間を静かに流れていました。案内板もなく土地の人でないとわからないだろうと思われた。

芭蕉の句碑がある。偽芭蕉そこで一句。

芭蕉
貞享二年 四十二歳
梅白し昨日や鶴を盗まれし 

フェイクバナナ
平成二十年 六十一還暦
小雨落ち紅葉埋もれし鳴滝に

念仏礼讃
20081117185129


ts20081117185130.jpg

先に11月3日にUPした念佛禮讚の七言絶句を玉筍庵純陽子先生に書いてもらった。すばらしい楷書です。草書の書き下し文も素晴らしい。これだけ僕もかけたら恥ずかしくないのだが、いかせん字は下手です。ありがとうございますだ。


聖人念仏図
mm20081116220629.jpg

面白い絵を描いてみたいと思ってつくった。真宗学的には親鸞がキリークを拝むことなど有り得ない。でも観字観ということが有りえるのではないかと思う。

題親鸞聖人念佛図

燈明念佛滿蘭房
慈海瑞華白鶴翔
南無合掌未到信
當爲除斷皈西方
南無阿彌陀佛

爲○○○○○女史
平成廿年十一月二十三日


孫と遊ぶ
20081116112501
20081116112500
20081116112459
孫と遊ぶ。お茶目な孫です。
Copyright © 游游おじさん. all rights reserved.