犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

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池田弥三郎『性の民俗誌』
20060803082435
宇野哲人の『清国文明記』を読みおえてから、この本を読みおえた。この本は、日本民俗学のタブーとされていた性の問題を正面からとりあげている。最初に「おまつり」という言葉を取り上げている。「おまつり」という言葉は意味が深い。当方の田舎でも昔は「お祭り騒ぎの最中で」とか、「おまつりをやらかしていた」とかいって、性の行為を表現していた。その意味あいは深くて、まつりが政治のまつりごとを表すと同時に、祭礼を表し、また性行為を表すのはどのような関係にあるのかと疑問であった。この問題は中国古代史に抱いている疑問に繋がっている。神と神の嫁との関係によって、性行為が行われる民俗に繋がるものであるという。一夜妻のはなし、初夜の権利、浮気のさびと続く話もおもしろい。この本は古典の引用が続くので、古文に明るくない僕には辛いものがあった。
よばいが近世の部屋にしのんでいく前は、求婚の第一段の方法であったのだろうと言う。男が女のもとへかようのは、暮れてからである。そして一番どりが鳴くと、もう帰ってこなければならない。それは神が夜のうちに来て、朝に帰っていくことを意味している。またところによっては、女よばいもあったらしい。最後にいい男の条件というのがあって、徒然草の「すべての男の子をば女に笑われぬようおおしたつべしとぞ」という文章をあげている。著者の説によると人に笑われない男が理想的なタイプであるらしい。ましてや女に笑われるようではもう男も台なしである。「世の中に、たえて女のなかりせば、男の心はのどけからまし」となるのだそうだ。のどかなれど味気なき世の中であることは確かだろう。


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