犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

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難経を読む
20060118093304
昨夜は伝統医学思舍の勉強会でした。この勉強会は20年以上続いているのですが、まったく厳格でなくて、二回に一回は酒を飲んで宴会になるという気楽な勉強会です。でも昨夜は『難経』の三難読みました。
◆三難曰.
脉有太過.有不及.有陰陽相乘.有覆.有溢.有關.有格.何謂也.
然.關之前者.陽之動.脉當見九分而浮.
過者.法曰太過.
減者.法曰不及.
遂上魚爲溢.爲外關内格.此陰乘之脉也.
關以後者.陰之動也.脉當見一寸而沈.
過者.法曰太過.
減者.法曰不及.
遂入尺爲覆.爲内關外格.此陽乘之脉也.
故曰覆溢.是其眞藏之脉.人不病而死也.

◆三難に曰く.
脉に太過あり.不及あり.陰陽の相乘あり.覆あり.溢あり.關あり.格あり.何の謂ぞや.
然り.關の前なるものは.陽之動なり.脉は當に九分に見(あら)われ浮なるべし.
過ぐるものは.法に太過という.
減ずるものは.法に不及という.
遂げて魚にあがるを溢となし.外關内格となし.此れ陰乘之脉なり.
關の後なるものは.陰之動なり.脉は當に一寸に見われ沈なるべし.
過ぐるものは.法に太過という.
減ずるものは.法に不及という.
遂げて尺にいるを覆となし.内關外格となし.此れ陽乘之脉なり.
故に曰く、覆溢.是れ其れ眞藏之脉なり.人病ずして死なり.

「按」これの文章はむつかしい。古来定説が無くて、議論百出である。『難経集注』には呂、丁、虞それぞれ意見が意見が異なる。『難経経釋補正』に、これらの異論が詳しく論じられている。太過不及の概念が、脈の関上部から寸口部と尺中部に現れる脈の長さの問題なのかどうかはハッキリしない。それとも気の過不足によるものだとする虞の意見も捨てがたい。また呂の溢.外關、内格、陰乘之脉を同じ概念とする解釈は明らかにまちがいであろう。
覆溢があらわれれば、これが眞藏之脉であるという。人が病気にならないで死ぬという状況が来るというのである。たぶん今日の概念で言えば突然死の状況であろうが、そのときこのような脈状が診断できるのかは不明である。死の前兆を脈で診断するというのは相当難しい。
病気は治るが、寿命はわからないと言うのが本音である。
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