


44年ぶりにむかしお世話になっていた下宿屋を尋ねた。今なお同じ家族が住んでおられ、僕が下宿していたときには子供だった人がご主人だった。彼には記憶はなかったが、僕が住んでいた部屋は改装されて今なおあった。二枚目の写真の路地奥の青白い建物二階だった。街角をまがったところの八百屋はいまなお健在だった。またよく散歩に行った東京カテドラル聖マリア大聖堂もあったか、木造の古い教会はなかった。田中角栄邸はなかった。







椿山荘の庭に伏見の深草の石峰寺の五百羅漢の何体かが持ってこられている。これは大正時代に持ってこられたということであった。この石像が有名になったのはあの伊藤若冲が下絵を書いた羅漢であるからである。近年の若冲ブームによって石峰寺の羅漢も整備されたが、以前はぬすび放題と言う話を聞いたことがあった。40年ほど前に尋ねたときには草生す中に羅漢さんがごろごろしていたものだった。この一部が持ってこられたのは大正時代ということであったからどんな状況であったのかわからない。説明にはそれとなく出処をごまかしていた。その横にある庚申像もよかった。昔は武蔵野のあちこちにあった庚申さんの像も今はわからなくなっているのであろう。
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