犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

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京都の空に飛行船
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京都の空にぽっかり飛行船
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O先生の遺宝
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先日亡くなられた恩師のおまいりのために岐阜のお寺まで出かけた。そこで先生の遺宝を見せてもらった。先生が蒐集された宋元の大蔵経の断簡が集められた遺宝を拝見すると、それらがとても貴重なものであることがわかった。最初の断簡は先生のメモによると北宋の大蔵経の一部と思われる。しかし大正新修大蔵経の索引CBETAによればどこにもこの断簡に相当するところがない。たぶん今は佚書となった論釋書の一部であろうと思われる。

プライスコレクション 「若冲と江戸絵画展」
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若冲の作品はすごかった。人もすごかった。もう作品の前に群がっている。掛け軸のむこうの虎があまりの人の多さにビックリしていた。案外、長澤蘆雪や蘇我蕭白が良かった。酒井抱一はもうすこしのものばかりだった気がする。



喜み屋
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クリーム蜜豆

平田篤胤『霊の真柱』
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平田篤胤の『霊の真柱』(たまのみはしら)を読んだ。平田篤胤を読んだのは初めてである。以前『出定笑語』を買ったことがあったが、読まずに何処かに入れたままに終わっていた。今回彼の著を読んで、霊の在り方について、近代人の新しい解釈を知ることができた。本居宣長や賀茂真淵など近代の国学の展開の一つの到達点だと思われる。
儒学の霊魂論のように霊が論理的に処理されるようなものではないことを述べ、仏教の教えのような荒唐無稽も認めない立場の霊のありようを述べている。そこでは概念の中に霊魂を押しこめるような霊魂を認めない。ただ霊のありようは、清きところにつくという古代の考えでもって考えている。しかしながら皇国の伝えに随ってのみ理論を立てようとするのであるが、やはり新たな概念を設定しなければならない矛盾に陥っている。また蘭学の伝来などによって新しい理論にも対応しようとしているなど、時代性も感じられる。
先日受験生が靖国問題の本を持っていて、気休めに読んでいるとかいっていた。たしか靖国と宗教とか言う題だったかもしれない。そのとき靖国の霊魂観が宗教とよべるかどうか疑問であるといっておいた。ただ僕が靖国の戦犯に当たる人の合祀を認めているとかどうかとか言う問題ではないので誤解のように御願いします。




F君の結婚式
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F君の結婚式に媒酌人をしました。朝から家内は着付けとヘアーセットに行きました。僕は紋付きを着て待っていると、8時過ぎにタクシーが迎えに来て、F君のお寺に行きました。仏前結婚式は初めてでした。お寺で挙式が行われ、記念撮影があり、お昼に披露宴会場に移動して宴会が開かれました。お寺での式は厳粛な中に壮麗で良かったです。
披露宴では新郎新婦入場の後、すぐに媒酌人挨拶となり、ぎこちなく原稿を読みあげるだけでしたが大役を無事済ますことができました。あとは美味しい食事で楽しい披露宴でした。
実は前日、朝ごはんを食べていると、ガリと音がして、石を噛んだかとおもって出してみると、奥歯のかぶせだった。ああ、明日は仲人をしなければなければならないのに困ったと思って、しかたなく友だちの歯医者Y君に電話をすると診てくれるという。早速治してもらって結婚式に事なきを得た。歯が痛いまま仲人をしなければならなければ大変なことだった。持つべきものは良き友だちである。

江里佐代子のきり金
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きり金。京都テルサにて。

オレンジボマンダー
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オレンジボマンダーを作った。

美術手帳ときいち塗り絵
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美術手帳は中国美術入門。中国美術の現状が分かる。中国美術はバブルらしい。対談「若冲、雪舟、中国絵画」が面白い。塗り絵は美術館で買ったもの。木のおもちゃは流行りらしい。

アルベルト・ジャコメッティ展
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アルベルト・ジャコメッティ展に行った。妹のお勧めでチケットまでくれた。良かった。最終日でも人はそう多くなかった。兵庫県立美術館にて。

作家の個性
ジャコメッティ展を見てこの作家が初期の作品からずっと一つの表現を連続して追い求めていることがわかった。それがこの作家を特徴づけるものであったと同時に変化をしなかったことになる。個性がこのように限定されると、作品はわかりやすいが、ある一面面白みがない。変化し続けることによってその跡を辿ると個性が見えてくる作家はどうだろうか。日本の作家にはその様な人が多い気がする。スタイルの固定は個性と呼ばれ、美術市場の認可が得やすいと言う。そのためにこのようなスタイルを追求することになると言う範迪安の中国現代絵画への指摘に似ている。『美術手帖』2006-10P66

日本の美術館の堅苦しいさ
先のメモを会場でパンフレットの上に書きこんでいると、会場の案内員が来て、ボールペンは使うなという。鉛筆を貸すからそれでかけという。特に芸術記事を書いている文筆家でもないので、まあいいです。止めますといって、途中で止めてしまった。絵画の前でペンを使っていたわけでないし、中央のソファーに座って書いていただけだったのだが、これもいけないらしい。フランスのルーブルなどでは、絵画を模写する人が普通にいるのにこれは余りにも堅苦しいのではないかと思った。中国でも学生が昔の水墨画を模写していたのに、日本ではこのような風景を見たことがない。



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