犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昼ご飯賄い
20060831123322
豚ごうや味噌いためわかめすまし
スポンサーサイト

鍼治療中の游游
20060829230455
游游は目が治ってから、寝ぼけて階段から落ちて捻挫をしてしまいました。鍼治療をして、游游は元気になりました。すこしみにくいですが、黄緑の鍼が足と目の回りに刺さっています。游游は鍼治療をリラックスして受けています。


信楽焼き宗陶苑
20060827175418
20060827175756

信楽に行った。信楽焼きの宗陶苑で登り窯を見せもらいました。知りあいなので奥様がわざわざ案内をしてくださいました。だんな様にはせん茶を立てていただきました。御嬢様にもひさしぶり会うことができました。傘立てを買いました。

あんみつ
200608271749132
20060827174913
大石の叶 匠寿庵でざるうどんとあんみつを食べる。


石山寺
200608271749078
200608271749076
200608271749074
200608271749072
20060827174907
静岡の友人とはっきりわからないのだけれど10年ぶりぐらいに石山寺に来ました。お寺の境内が広くなっていて驚きました。

亡友Nさんを祭るの文
200608261215162
20060826121516

○○○○大人之靈位

祭亡友○○○○仁兄文
維平成十八年歳次丙戌七月二十四日甲寅、令愛以電話報訃、弟以爲信哉否歟。哀纒手足、悲裂肝心、痛深痛深、孤苦孤苦。嗚呼自爾去、来再朔望、前事後事兩不相知、以清酌庶羞之奠、致祭于仁兄。
仁兄之道、用以廣益聰明遍天下、雖庶人凡人亦皆知其業、如公共汽車運輸、權衡百度矣。
嗚呼言有窮而情不可終、爾其知也邪、其不知也邪、嗚呼哀哉。
弟○○○○謹寫
平成十八年丙戌八月処暑

亡き友○○○○仁兄を祭るの文
平成十八年七月二十四日、お嬢さんから電話があった。あなたが亡くなった報せでした。僕は信じられなかった。嘘でしょうと思った。せつなさで手足はしばられ、かなしみで腹わたが剔られるようだった。痛ましく痛ましく寂しい。ああ、あなたが亡くなって、はや一月余り、後先もわからずどうしようもありません。少しばかりの御供えであなたをお祭りします。
あなたの行いは、なんでも公明正大でみんなに優しく、その事は誰でも知っています。たとえばバスの運動のようにバランスの取れたものでした。
ああ、言葉には終わりがありますが、心情には終わりはありません。そのことをあなたは知っていますか。ああ本当に哀しい。
弟分の○○○○、謹んで書きました。
平成十八年丙戌八月処暑


花鳥遊行集
200608252000272
20060825200027
古本屋さんの百円棚でこの短歌集を見つける。原田禹雄・梶尾操・往還歌箋『花鳥遊行集』である。限定20部の手製本で装丁は康煕綴じである。歌はすばらしいものばかりである。装丁はすべて手作りで、小口に絹が使ってある。題字も書家の手になるもので優雅な佇まいである。このような私家版が古本屋に出るとは、もらった人の心無さをうらめしく思う。その結果、僕はこのような作品を手に入れられたのだからそれはまた別の悦びでもある。作者二人は和歌の世界と沖縄研究で高名な人であるらしい。僕はまったく知らないのだが、古本屋の店先で立ち読みをして素晴らしいと思って買ったものである。男と女の往来の歌集とは色っぽいものになるはずだが、熟年の二人にとってうたを通じて人生の向こうにある本質を歌い出す行為に変わっている。


夏の終わり
20060825092424
夏の終わりの風が琵琶湖を渡って来る。ホームで電車を待っているからだを少しだけ爽やかな気分にしてくれる。この小野は小野氏の発祥地で、小野妹子や篁、道風などの遺跡がある。

友人への御祝い
20060823132116

若い友人が大学の講師となった。そこで御祝いために七絶を書いてみた。字は上手くなりたいものである。文学にも才能が必要に思う。嗚呼。

教學
文房月亮映讀書
蘭若尋師問史餘
庠序忽然生才俊
筆花好道教諭初

平成丙戌処暑


谷崎潤一郎記念館
200608201142324
200608201142322
20060820114232
谷崎潤一郎記念館
小出楢重アトリエ
芦屋市立美術博物館
谷崎潤一郎は好きで新潮文庫の全てを読んだがまだ知らない作品もあった。
谷崎の美意識は、永井荷風とすこし違う。あの残忍な中に堪えようのない美が蠢いている。過ぎ去った日本の美がそこここにあって、優雅な時代の影を映し出したのかもしれない。
帰りに家内が裕福な少年時代を過ごさないと文学とか美とかはわからないのではないかという。豊かな幼年時代が心の豊かさを生みだすように思われる。本や芸術に程遠く、貧しく生活に追われる環境で、幼年時代をすごして、はたして芸術や美がわかるかというとほとんど無理な気がする。最近、美の感受性や藝に対する慣性がにぶってきたと思っていたが、もともとそんなものは自分の中に育っていなかったのだと知らされることが多くなった。やはり若いときに美や文学について豊かな生活をすべきなのだと思う。
小出と市立美術館はそう見るところがなかった。

游游は芦屋の動物病院に
20060820095719
游游は芦屋の動物病院に来ました。この病院は動物の眼科医なので游游の目を診てもらいに来ました。游游は乾燥症らしいです。鍼をしてから少し良くなりましたが、完全に治すために芦屋まで来ました。やっぱり芦屋はお金持ちの町ですね。


氷ぜんざい
20060819171541

みつばちのみつ豆を食べたかったのだが、氷善哉となった。

お盆
200608131148262
20060813114826
親父の初盆


和ガラスの心
20060806170641
午後和ガラスの心と言う展覧会をミホ美術館に見に来た。ガラスがフェニキアに始まることは知っていたが中国に紀元前からトンボ玉があること知っていつ伝わったのか不思議だった。

美のかけはし
20060804121516
夏休みになると少し時間ができて、京都国立博物館に出かけた。「美のかけはし」という展示をしていた。内容は京都国立博物館の開館110年記念ということで名宝を中心として、東山界隈の美術品を集めている。以前に見学した国宝も多かったが、とくにこの博物館の外壁に飾られている石造の木製模型「伎芸天」が面白い。辻が花の染め物もよかった。雪舟の「天橋立図」、「釈迦金棺出現図」「風神雷神図屏風」などは定番である。「宝誌和尚立像」はいつ見ても感動する。何げない虫食いの仏像だが印象深い。この展示はいつもの混雑がなくてゆっくりと見ることができた。


池田弥三郎『性の民俗誌』
20060803082435
宇野哲人の『清国文明記』を読みおえてから、この本を読みおえた。この本は、日本民俗学のタブーとされていた性の問題を正面からとりあげている。最初に「おまつり」という言葉を取り上げている。「おまつり」という言葉は意味が深い。当方の田舎でも昔は「お祭り騒ぎの最中で」とか、「おまつりをやらかしていた」とかいって、性の行為を表現していた。その意味あいは深くて、まつりが政治のまつりごとを表すと同時に、祭礼を表し、また性行為を表すのはどのような関係にあるのかと疑問であった。この問題は中国古代史に抱いている疑問に繋がっている。神と神の嫁との関係によって、性行為が行われる民俗に繋がるものであるという。一夜妻のはなし、初夜の権利、浮気のさびと続く話もおもしろい。この本は古典の引用が続くので、古文に明るくない僕には辛いものがあった。
よばいが近世の部屋にしのんでいく前は、求婚の第一段の方法であったのだろうと言う。男が女のもとへかようのは、暮れてからである。そして一番どりが鳴くと、もう帰ってこなければならない。それは神が夜のうちに来て、朝に帰っていくことを意味している。またところによっては、女よばいもあったらしい。最後にいい男の条件というのがあって、徒然草の「すべての男の子をば女に笑われぬようおおしたつべしとぞ」という文章をあげている。著者の説によると人に笑われない男が理想的なタイプであるらしい。ましてや女に笑われるようではもう男も台なしである。「世の中に、たえて女のなかりせば、男の心はのどけからまし」となるのだそうだ。のどかなれど味気なき世の中であることは確かだろう。


Copyright © 游游おじさん. all rights reserved.