犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

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Oさん宅の美術品2
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徳力孫三郎の作品か?野菜が抽象的にデザイン化されている。この作品のすごさはまだ世間では認められていない。
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Oさん宅の美術品
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徳力孫三郎の作品か?
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布士富美子の作品、50年ぐらいまえとか。銘は鄙人形。ひなにんぎょうと読む。



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秦蔵六の作品、銘は諌鼓(かんこ)。
昔、中国で、君主に対して諫言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、官庁に設けた鼓。『広辞苑』
この銅器の下の漆の案がすごくよい。古い廃木を板にして、その角と平面だけに堅漆で仕上げてある。無名であるがすばらしいものだった。

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字は山田無文。

おつう伝説4
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尾が埋められた花尻の森
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花尻の森のある江文神社の御旅所、椿の群生地である。



おつう伝説3
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おつが森の碑と注連縄。
碑文は龍王大明神だった。この伝説はやはり龍王信仰に由来するものであることは確かである。類似の伝説は各地に存在した。




おつう伝説2
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乙が森(おつうが森)
寂光院の入り口にあって、そばに草生川が流れています。おつうの伝説では、退治した大蛇の霊を鎮めるために、この森に頭部を埋葬したと伝えられています。今も、それにまつわる行事が受け継がれています。また振り返れば遠くに霊峰比叡山を望むことが出来ます。




むかし昔、大原の里におつうという娘が住んでおりました。ある日上洛の若狭の殿さまの目にふれ、おつうは玉の輿、殿さまの国元に召されたのです。それはそれは夢ごこちの毎日を過ごしていたのですが、やがておゆうが病にかかると殿さまの心も変わって、おつうは戻されてしまったのです。おつうは悲しみのあまり大原川の女郎渕に身を投じました。するとたちまち、その美しい姿は大蛇に変わりました。そしてある日、都入りする殿さまの行列が大原の花尻橋を通りかかったところを襲ったのです。あばれ狂う大蛇は家来によって一刀のもとに切り捨てられましたが、その夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われました。恐れおののいた里人たちは、大蛇の頭をおつうが森に埋め、尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めました。今でも大原の里にかかる朝もやは大蛇の姿に棚引いていますし、乙が森ではおつうの鎮魂の行事が残っています。



おつう伝説1
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お通の伝説調査記録 回答者YYさん 聞き書き人 游游おじさん 2006.01.21
調査までの経過。
朝いつも通りにYYさん宅、往診にいく。いつも大原の野村の町内に入って最後に家の方に曲がるとき、YYさんとこの前の家の玄関先に竹を立てて注連縄が張られていた。その理由を聞くとおつうさんの伝説を聞くことが出来た。

大原の大蛇の伝説。
おつうさんが、若狭の殿さん(若狭に通っているとき)に恋をした。もともとここは若狭街道といって若狭への道だった。そのために殺されて蛇になった。
その祠ってある森をおつ(う)の森という。寂光院に行く道の角にある。蛇が殺されて頭がおつが森にある。尾が花尻橋の所にある。3月10日祭りがあるが荒れる日である。前の家に注連縄があるのは、頭をまつる当屋である。箱を一年預かっている。祭りの日には当屋のお嫁さんがその箱を頭に載せて、おつうの森に行く。一のくらがり(日暮れのこと)に出かけるが、人と出会わないように先走りという人が先にふれて歩く。森で式があって次の当屋が持ち帰ってくる。また箱を一年預かる。出かけるときには家の電気も消して暗闇の中を出かける。暗闇で式が行われ、次の当屋も暗闇でもってまた迎える。暗がりから暗がりに伝える。
もし当屋に不孝があるとすぐに次の当屋に移す。神さんを預かっていると、もし親戚に不孝があっても出席しない。尾も祭りがあるらしい。上野と野村の二か村で維持しているらしい。




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