犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

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S・G先生の思いで
先生はなかなかシャイな紳士だった。何気ない仕草に大人(たいじん)の風貌を表され、本当に医学の徒として、僕には理想像を見るようであった。
ある時、「病草紙」の江戸時代の寫本を見せていただいたことがあった。さりげなく鞄から取り出され、顏にはもうコレクター特有のほほえみをたたえられて、「どうですか」と意見を求められた。当方にはそのような価値がわからないことは十分承知で、おもむろに広げてくださったのだった。そしてそのコレクションが僕にもわかる程度すばらしいものでありながら、「あまりたいした物ではありませんよ」と静かに話された。そして、僕一人に見せてすぐにまた鞄にしまわれた。それが悋気からでなく、いかにも自己満足できるものを手に入れた歓びにすこし恥ずかしさが混ざった感情であったと思う。
藤波鑑の研究で日本医史学会から奨励賞をもらわれたときには、その研究論文が誰の目にもすばらしいばかりでなく、藤波鑑の業績を明らかにされた先生の視点に感嘆したものであった。藤波による癌がウイルスに関係する業績を丁寧に掘り起こされ、そしてその藤波のウイルスが東ヨーロッパのハンガリーの研究所に残っていたなど、まるで推理小説を読むような面白みがあった。先生に読者としての感想を述べると本当に喜んでいただけたのが昨日のように思い出される。
また先生は当方の田舎に別荘を持たれていて、ときどき僕が田舎にいると呼んでくださった。そこでお茶をいただいて、医学史談義を聞くのが歓びだった。別荘に居られるときの先生は本当に好々爺で、夏の日をゆっくりと家族で過ごされていた。ときに何か調べものの話になって、わからないとそのことがよほど気になるのか、家に帰られてまた調べ直され、はがきでお知らせいただいたこともあった。
もう静かな口調で「どうですか」という言葉を聞けなくなって本当に寂しい。先生を失うことは僕にとっての残念さだけでなく、医学史研究全体の損失に思うのは私だけであろうか。

舊憶S・G老師坐談   先生との話を懐かしむ

樂事盡妙術       仕事は楽しく上手
丹房滿青嚢       家には本がいっぱい
坐談醫不朽       話は医学のすばらしさ
口訣養生方       教えは生き方の術

平成十八年立春

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牡蛎豆腐鍋
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昼のまかない。牡蛎豆腐揚げ豆腐菊菜。

介護保険講習会
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ああ大変だ。介護保険がまた変わる。朝令暮改のこの国の典型がこの介護保険だ。結局、弱い者の切り捨てみたい。こんなことなら初めからやらなければ良かったのに!!



トルコチャイ
トルコチャイを味わう。完全な紅茶の入れ方。
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完全に蒸らすと、普通の紅茶が本当に美味しくなる。グラスに砂糖を入れていただく。

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まず下のポットで湯を沸かす。上のポットには紅茶をいれ、下の沸騰した湯を注ぎ、上のポットの口から湯気が出るまで蒸らす。



出井光哉君の信州そば談義
 別段おおきく出るつもりは無いのだけれど、私の住みゐる信州信濃は、「信濃と言へば蕎麦、蕎麦と言へば信濃」といふくらゐの、これはまう蕎麦の国でありまして、されば「うどん」に関しては“素養が無い”のです。
 ですからして「キツネうどん」と「タヌキうどん」とが、どのやうにどう違ふか――などといふやうな議論になると、私なぞは“キツネにつままれた”やうな面持ちでゐるしかありませんなあ。

 ことが饂飩でなくたつて、蕎麦にだつて「キツネそば」や「タヌキそば」があるぢやないか――と、貴君は言ふかもしれない。
 が、蕎麦でとなつたら、信濃者は信濃者でまた「キツネそば」や「タヌキそば」は、さうした食べかたは、蕎麦としては邪道だ――と、きつと言ふのではないかしら。

 なにしろ信濃には“ソバ通”を標榜する人が多くて、さうした人たちのあひだでは「十割そば」か「八割そば」か、赤い花の咲く「ルビー種」がどうか――といつたやうな点の方が、より重大事や関心事のやうだから。

 さればこそ“蕎麦には油揚げは似合はない”と言ふ人はゐても、「キツネそば」と「タヌキそば」の相違点やズレを問題視する人は、まづゐないでせう。ゐるとしてもゐたとしても、さうしたことを大真面目に云々してゐたら、きつとバカにされてしまふのではないかな。
 信州は全県でそんな雰囲気だし、南信濃にあつても例外ではないのです。

 と言つて、私は信州者を代表してモノを言はう――となぞ思つてゐるわけでもないのです。私はといへば、信濃者だから、やつぱり蕎麦は食べるけれど、饂飩は滅多に食べない。饂飩は「口に合ふ」とは言い難いからですよ。
 しかしまた、蕎麦に入れ込んで“通を気取る”やうな連中を、冷ややかに見てゐる方なのです。歴史的に見て、米のご飯が食べられない処で育つた人たちが、蕎麦をあれこれ言つてきたのだ――と、さう思つてゐるからです。

 かくあればこそ、「キツネうどん」や「タヌキうどん」の正統的なありやうに関しても、私としては口を挟むことはできないのですよ。
 南信濃には“うどん文化”は無いのでして、讃岐はもとより四国・関西方面での勢力争ひ?の帰趨を、しかして貴君の結論?をば、黙つて受け入れることに対しても、なんらの抵抗もありません。


晩ご飯
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ゆで豚とセロリのサラダ。ドレッシングはコチジャン風味。焼き塩サンマ。ひれ酒。
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ソーセージの卵とじスープ。なす浅漬け。



こまいぬ
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京都国立博物館でこまいぬを見る。往診の途中で、あわてて狛犬だけをみる。今日はなぜか入館無料日だった。その中で気に入った狛犬はいなかった。今まで見た中で、高島市の安曇川の藤樹神社(近江聖人中江藤樹先生を祀っている)の狛犬が気に入っている。
そのあと友人からもらったチケットで高島屋のユトリロ展に行く。時間がないのでざーと見て帰ってくる。余りの人の多さにびっくりする。好みでないので良さがわからない。西洋絵画には陰影礼賛のような要素がないので、あまり深みを感じないのかも知れない。まあ好みの問題だと思う。



のっぺいうどん
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のっぺいうどんは京都だけのメニューです?しっぽくうどんのあんかけです。葱の嫌いな人には良いですよ。京都には葱の嫌いな人が案外多い。その人たちの定番料理。つるやにて。

レトロな喫茶店
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押小路西洞院東入
40年来のレトロな喫茶店。入ってみたいところです。ときどきテレビや映画の撮影に使われているとか。


飯田弁標本箱(第一集) 出井光哉著
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昨日、大学時代の友人出井光哉君(ペンネーム)から一冊の本が送ってきた。長野県の飯田地方の方言を集めた本である。あまりにも面白いので、一気に読んでしまった。この地方は関東の文化圏に属するはずだが、うちの田舎(滋賀県の湖西地方)の言葉に近い表現があってふんふんそうだったのかと妙に安心するところがあった。
「はがため」は、当方では子供の食い初めしか使わないのだが、甘栗でははがためにならない気がする。とうぜん勝ち栗だろう。「たんと」は当方ではすこし子供言葉の気がする。「ちょびっと」使わなくなったな。「しんとう」などは聞いたことのない言葉であった。「はじはじ」なんて言葉は、いかにも子供のすねた反応が見られるようで面白い言葉である。
「きつきつ」は、当方では「きっつきっつう」なったと表現している気がする。「ぶかぶか」もいいな。
「よったり」は、いかにも4人という感じがしてくる言葉である。「塩梅」がいい。当方では「塩梅よう」と使うことが多いかな。中国語に「按排」という言葉があって、ある作家がこれは日本語の「塩梅」からきたなんて言っていたので信じていたのだが、この言葉は明代からあった。
身体の言葉は、だんだん廃れて解剖学用語でしか伝わらなくなってきた。「ありご」「ももた」など、言葉の情緒がある。当方でも「かいな」「おいど」「しりこぷた」「ひざぼん」「こむら」などもうわからない人が多くなっている。「いもぼし」乾し芋のことらしい。当方では「芋するめ」という。いかにもするめらしく見えるのだが所違えば見え方が異なるのだろう。まだまだおもしろい言葉がつづく。


可愛い孫
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游游はアトピー?
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ミニチュアシュナウザーの游游は毛が生え替わりません。そのために皮膚が弱いとか。最近よく前足を舐めているので、見てみると皮膚が荒れている。どうもアレルギーらしい。そこで今日は嫌いな病院行きです。


キムチうどんなべ
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昼のまかない。



牡蠣のトマトスパゲッティ
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今日のお昼。牡蠣のトマトスパゲッティ。作ったのです。

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ガスコンロでフランスパンを正しく焼く方法。これが美味しい。

つる亀
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つる亀の豚汁。一年の三分の一はここで昼食。



牛王宝印
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清水寺の牛王宝印(ごおうほういん)のお札。
1月7日にだけ配られるお札。俳句の季語にもなっている。

牛王 清水寺 修正会の満願の日。柳の杖(牛王杖)で本尊の光背を打つ行事。参詣人に牛王宝印を授けるが、この宝印の紙は商家にとって商売繁盛のお札とされる(京都市東山区)『宗派の主要行事 1月』

「按」このお札はたぶん農業神的要素があるのだと思う。現在は太陽暦なのでこのような時期に行われているが、旧暦なら農業がはじまる時期に相当する。牛の健康をねがう意味合いがあったと思われる。熊野那智大社でも行われている。
さらに中国の立春の前の日に行われる打春牛の行事との関係も注意されなければならない。打春牛では紙の牛を打ち付け、その牛の中に子牛が入れてあり、その牛が出ることで豊作を願う行事である。ここでも柳の枝で打ち付けることから、たぶんこの行事の変形ではないかと思う。熊野でも「祭壇に神符を供え、神職が悪霊を追い払うため、太鼓の音に合わせて柳の小枝で樫の木の打盤と呼ばれる板を力強くたたきつけた。」『デーリー東北新聞社』2006.1.23と報告されているから、おなじ意味合いがあると思う。
また牛王は地獄の馬頭とともに冥土の守護神的要素があるので八坂の神々の地獄的要素とも関係があるかも知れない。特に牛王神社が八坂にあることも関係するのだろうか。

中国の民俗
「“立春”の前一日、仗をとって春を東郊に迎える。立春の候、芒神を祭り、土牛を鞭うち、春宴を設ける。」
『上海縣誌(三十二巻・清同治十年刻本)』,『中國地方志民俗資料匯編・華東巻(上)』P7

骨董入門
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先週、NHKを見ていると「なんでも好奇心ー知るを楽しむ(水)」「極私的骨董入門」を見た。そこで柳宗悦の日本民芸館が紹介されていた。このテキストを欲しかったがどこも売り切れで、やっと見つけた。読むと面白かった。幸田露伴の説にも納得した。また前編の瀬戸内寂聴の「世阿弥の佐渡を歩く」もよかった。結局、全編読んでしまった。世阿弥の「風姿花伝書」の話などもあって、世阿弥の老年期の出来事を学べた。



つるや
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つるやは河原町四条下がったところにあるそばや。京都では一二をあらそうそば屋と思う。おすすめ。
たぬきそば。京都のたぬきそばである。

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紫蘇きり。この店の名物ざるそば。初めての人はこのそばを食べるべし。天ぷらは特注。

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あなご天ぷらそば。

孫のひな人形をさがしに京都に出る。人形などわからない僕には何を見ても一緒だが、それでも顏が違い装束が違っていて値段が違うのだと言うことはわかった。
今のひな人形は、顏がなにげなく現代風なのが受けているみたい。好みから言えば古典的な細面の引目顔立ちがいい。それが京雛なのだろう。

Oさん宅の美術品2
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徳力孫三郎の作品か?野菜が抽象的にデザイン化されている。この作品のすごさはまだ世間では認められていない。

Oさん宅の美術品
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徳力孫三郎の作品か?
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布士富美子の作品、50年ぐらいまえとか。銘は鄙人形。ひなにんぎょうと読む。



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秦蔵六の作品、銘は諌鼓(かんこ)。
昔、中国で、君主に対して諫言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、官庁に設けた鼓。『広辞苑』
この銅器の下の漆の案がすごくよい。古い廃木を板にして、その角と平面だけに堅漆で仕上げてある。無名であるがすばらしいものだった。

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字は山田無文。

おつう伝説4
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尾が埋められた花尻の森
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花尻の森のある江文神社の御旅所、椿の群生地である。



おつう伝説3
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おつが森の碑と注連縄。
碑文は龍王大明神だった。この伝説はやはり龍王信仰に由来するものであることは確かである。類似の伝説は各地に存在した。




おつう伝説2
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乙が森(おつうが森)
寂光院の入り口にあって、そばに草生川が流れています。おつうの伝説では、退治した大蛇の霊を鎮めるために、この森に頭部を埋葬したと伝えられています。今も、それにまつわる行事が受け継がれています。また振り返れば遠くに霊峰比叡山を望むことが出来ます。




むかし昔、大原の里におつうという娘が住んでおりました。ある日上洛の若狭の殿さまの目にふれ、おつうは玉の輿、殿さまの国元に召されたのです。それはそれは夢ごこちの毎日を過ごしていたのですが、やがておゆうが病にかかると殿さまの心も変わって、おつうは戻されてしまったのです。おつうは悲しみのあまり大原川の女郎渕に身を投じました。するとたちまち、その美しい姿は大蛇に変わりました。そしてある日、都入りする殿さまの行列が大原の花尻橋を通りかかったところを襲ったのです。あばれ狂う大蛇は家来によって一刀のもとに切り捨てられましたが、その夜から激しい雷雨や悲鳴に見舞われました。恐れおののいた里人たちは、大蛇の頭をおつうが森に埋め、尻尾を花尻の森に埋めて霊を鎮めました。今でも大原の里にかかる朝もやは大蛇の姿に棚引いていますし、乙が森ではおつうの鎮魂の行事が残っています。



おつう伝説1
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お通の伝説調査記録 回答者YYさん 聞き書き人 游游おじさん 2006.01.21
調査までの経過。
朝いつも通りにYYさん宅、往診にいく。いつも大原の野村の町内に入って最後に家の方に曲がるとき、YYさんとこの前の家の玄関先に竹を立てて注連縄が張られていた。その理由を聞くとおつうさんの伝説を聞くことが出来た。

大原の大蛇の伝説。
おつうさんが、若狭の殿さん(若狭に通っているとき)に恋をした。もともとここは若狭街道といって若狭への道だった。そのために殺されて蛇になった。
その祠ってある森をおつ(う)の森という。寂光院に行く道の角にある。蛇が殺されて頭がおつが森にある。尾が花尻橋の所にある。3月10日祭りがあるが荒れる日である。前の家に注連縄があるのは、頭をまつる当屋である。箱を一年預かっている。祭りの日には当屋のお嫁さんがその箱を頭に載せて、おつうの森に行く。一のくらがり(日暮れのこと)に出かけるが、人と出会わないように先走りという人が先にふれて歩く。森で式があって次の当屋が持ち帰ってくる。また箱を一年預かる。出かけるときには家の電気も消して暗闇の中を出かける。暗闇で式が行われ、次の当屋も暗闇でもってまた迎える。暗がりから暗がりに伝える。
もし当屋に不孝があるとすぐに次の当屋に移す。神さんを預かっていると、もし親戚に不孝があっても出席しない。尾も祭りがあるらしい。上野と野村の二か村で維持しているらしい。





料亭えのき
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昨夜、書籍商で古い友人のDさん夫婦に食事を招待される。ここの料亭の主人は、食物の学者だった。以前立ち読みした精進料理の著者がこの人だった。世の中にはすごい人がいるものだ。


空也上人と恵心僧都
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夜、患者宅で往診の間にグラフ誌を一冊読む。空也上人と恵心僧都は平安時代に浄土教を確立した人である。空也上人は、あの南無阿彌陀佛が口から出た像で有名である。あの像の写真を眺めているとわらじの結び方が昔から変わらないことがわかった。浄土思想が平安時代に始まったわけではなく、奈良時代には教信沙彌がすでに南無阿弥陀仏と唱えていたので浄土教の思想は早くから知られていた。教信沙彌は日本最初の念仏行者だった。この教信の説話は親鸞も感動したらしい。巡礼の途中で訪ねた播磨の教信寺はいい寺だった。

げんきの牡蛎フライ
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七条大宮の飯やさん。安い。量が多い。

竜大大宮校舎
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今日は大学の最後の講義、来週はテストです。今日になって試験問題の予想を聞きに来る学生がいる!

柳宗悦1
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柳宗悦の民藝と巨匠たち展
この展覧会はすごくよかった。とくに木喰仏の地蔵菩薩がよかった。それに朝鮮の美術品がよかった。昨日NHKで柳の紹介番組をしていたのでまた興味がわいてきた。

「按」民藝運動の創始者としての柳宗悦は、私にとって「南無阿弥陀仏」の著者としての印象が強い。この著作は、私の念仏に対する信仰を根本的に変革させた。一遍上人の信仰の持つ意味を明らかにするとともに、日本浄土教の完成者を一遍とする見方に深く感動を覚えた。鈴木大拙が「日本の霊性」で法然と親鸞を論じて、それでおしまいかと思って納得していたのだが、一遍上人の求道を知って、一遍という人がどんな人なのか非常に興味を持った。
「一遍上人絵伝」に福岡の市の場面がある。この場面はこの絵伝の中で一つのクライマックスの部分である。少し前に巡礼でこの備前の吉井川のたもとの福岡の市のあとに行ったことがある。
備前長船町から歩いて、この福岡の市のある村に着いたときは夕方だった。村で老婆にあって福岡の市の跡尋ねると知らないと言う。えっと思って一遍上人の旧跡ですよと言ったが、どうも知らないようだった。
暗くなってきてもう聞く人もいない状況で、やっとこの旧跡を尋ねた。旧跡はぽつんと石碑の旧跡と案内板があるだけだった。僕にとっては感慨無量だったが、この土地の人にはなにも意味はなさそうだった。

柳宗悦2
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柳宗悦の民藝と巨匠たち展のポスター
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