犬を眺めて人生を考えるおじさんブログ

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藤沢周平です。また読んでしまった。


忙しい時に読む小説はまた面白いです。
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忙しい時につい読んでしまう小説。久しぶりおもしろかった。


地区の資源ごみで出されていた剣豪小説三冊を借りてきた。

神仏習合と日本文化。村山修一。神様がどうして仏教に取り込まれたかを論じている。若気の雰囲気が文章に現


すこし硬い本であった。

横山大観の自伝です。一気に読めました。なかなか面白い内容でした。いかにも明治の人と言う感じの生き方


自伝を読むとその人の絵がわかる気がする

『中江藤樹』、伝記です。100円の古本です。戦前の本ですが、内容は濃いのです。

最近なかなか本が読めない。
『中江藤樹』、伝記です。100円の古本です。戦前の本ですが、内容は濃いのです。
私達の子供の頃は藤樹先生の話を聞いてへーと思っていたのです。しかし藤樹先生は多分本当は田舎の寺子屋の先生にしか過ぎなかったのではないかと思います。ただ弟子の熊沢蕃山が有名になったので、先生のことが明らかになったのだと思います。
蕃山が藤樹先生を知ることになった和邇の木下屋も廃業され、その有名な榎も枯れ果てて時代の証人がなくなっていく気がします。蕃山先生の蕃山文庫も今はどうなったか、戦前もてはやされた人たちが戦後の左傾化で忘れ去られようとしているのです。私達の思想を私達で静かに再検討すべき時代に来ている気がします。

永遠のいのち 日蓮 この本面白いです。日蓮という人が本当に日本人らしい日本人なのだと思いました。

僕はずっと浄土の門にいましたから、日蓮のことはわからなかったのです。昨年の七面山に参拝してからこの人案外面白いと思いました。

まかない。豚汁、厚揚げ焼き。

久しぶりの豚汁です。

周平独言


人の本を借りて読む。とっつきが難しく、彼のファンでなければしんどいかも知れない。

葛飾北斎伝・明治に書かれた最も早い時期の伝記。


引越し魔だったらしい。掃除が嫌いというのは少し似ているかもね。

おらんだ正月。


森銑三の本である。子供向きに書かれた江戸時代の科学者の伝記集である。50人余りの人たちが取り上げられている。その多くは恵まれた人より恵まれない境遇で育った人が学問のために一心に努力して新しい知識を開拓していく物語であり、子供向きに書かれたといっても内容は素晴らしいものである。通院している4年生の子供に朗読してもらったがすこし難しく助けないと読めなかった。でも子供に読ますべき書物として第一に勧められる本である。
仙人の様な永田徳本から始まって、角倉了以、杉山和一と続く。貝原益軒、関孝和、青木昆陽なども面白い、久保赤水や間長涯など知らない人もいて、勉強になった。山脇東洋、前野良沢、杉田玄白などは医学史でおなじみである。石の専門家木内石亭などは面白いのだがあまり知られていない。友人のF君のお寺に彼の墓があって、彼の遺品の有名な石が2・3個残っていて『雲根志』などもあって個人的に親しめた。なんといいても蘭学の系統はすごいです。語学の天才というかそういう人がいるようですね。中野柳ホ、稲村三伯とか馬場こくり、岡研介などもすごい人です。何っといっても平賀源内の人生が波乱に富んでいるのです。蝦夷地の開発には、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵なども忘れてならない人ですね。
江戸の人もすごいですが、この本の著者の森銑三もすごい人です。小学校4年しか出なくて、すごい学問を完成されたのです。明治の人、鳥居龍蔵や南方熊楠とともに生き方を教えられる人です。

柳田國男全集Ⅱ、妹の力、巫女考、毛坊主考。


柳田國男全集、妹の力、巫女考、毛坊主考。妹の力は昔読んだのに忘れております。日本の底辺部の放浪する人々、女性の呪術的能力を高く評価した本です。また今日差別用語となっている言葉もその根源を探っていくと深い意味を持つことを教えています。
女性を治療して、女性には男に及ばない霊的な能力があるような気がします。その力が現代女性は弱くなっているのではないでしょうか。神と人をつなぐ能力は女性なら誰でも持っている気がします。そのような能力の現れが気分のムラになって表現されるのだと思います。現代ではうつ病や不眠症、自律神経失調症などの病名がついてしまい、神との交信をする力を気づかないまま過ごしている気がするのです。自分に神が現れることもあるのだと思うとまた新しい心の文化が開けるのかも知れません。

古仏のまねび〈道元〉 日本最高の哲学書『正法眼蔵』はやはり難しいです。

曹洞禅は難しいです。

『仏教と民俗 仏教民俗学入門』 五来重先生の本です。この本を読むと日本の庶民の信仰がわかります。

面白いです。

仏教の思想、絶望と歓喜~親鸞


ようやくここまで来ました。あと二巻です。親鸞についてあまりよく知りませんが、今までの理解と異なる気がします。僕も浄土門にいる気でいるのですが、他力本願ということが利他という思想に弱いのではないかと思っています。慈悲の心がどうしても表面的なものになっている気がします。南無阿弥陀仏には菩薩行ということがないわけで、自分は信によって極楽浄土が現前にあっても、他者には冷たい気がします。この度の震災について浄土門の人たちの行動の無さをつくづく感じます。お寺で被災者ためにお経をあげることは、実際の支援と異なる気がしたのはぼくだけでしょうか。親鸞に絶望があるなら、現代人にも絶望があり、新しい信仰の形があるはずなのです。あたらしい南無阿弥陀仏がでてこなければならないのではないでしょうか。

関空で『黄素妙論』を読み終える。房中術というのは難しいのです。



江戸時代の変体仮名さえ読めないのです。
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